てかてんの書斎

本業はメーカーの商品開発エンジニア。自宅ではもっぱら読書を楽しむ書評ブロガーとして活動中。読書は年間100冊ペースで、小説でもビジネス書でもなんでも読みます!ブログでは、書評・本から得た学びと考え・その他雑記記事を書いています。

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「ゆとり教育」はなぜ失敗してしまったのか

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  ゆとり教育といえば、誰でもわかる過去の教育システムのことだと思います。数学や理科といった教科の勉強時間を減らし、総合学習の時間を多めにとって、ゆとりある教育を行おうというのが本来の趣旨でした。もちろん、勉強時間の削減によって、「勉強する内容や勉強範囲」までも削減され、最終的に学力低下を招いてしまった、というものでした。
 
  そのイメージがあってか、「ゆとり世代はダメだ」とか「ゆとり世代は仕事で使えない」、さらには「ゆとり世代は指示待ち人間が多い」といった指摘も頻繁になされているようで、現在の若手社員を苦しめているようです。
 
  現在では、脱ゆとり教育がスタートして数年が経過し、「新課程」と呼ばれている教育システムが運用されている為、「ゆとりは終わった」とされています。
 
  さて今回は、ゆとり世代のイメージの悪さが仕事に対して悪影響を与え、経済活動にさえも影響を与えかねないと思えるほどなので、ゆとり教育はなぜ失敗したのか?について詳しく考えていきたいと思います。
 
 
 
 
 

◼︎ ゆとり世代のイメージは、偏見なのではないか

 
 
  まず最初に、ゆとり世代という言葉の持つ、悪いイメージについて考えていきます。なぜか現在の風潮では、「ゆとり世代はダメなやつばかりだ」、「ゆとり教育は失敗した」と日本中で考えられています。具体的な数値や実績に基づいて言われているのなら理解できますが、なんとなくそんな風なイメージが植えつけられているような気がしてなりません。果たしてゆとり世代は、本当にダメなやつばかりなのでしょうか?ゆとり教育は失敗したのでしょうか?
 
  そもそも、ゆとり教育が失敗したと言われている理由はいくつかあります。仕事の覚えが悪い、挨拶ができない、すぐに仕事を辞める、指示待ち人間が多い、考え方が甘い、昔とは違う、などなど。どれも、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
 
  もちろん、上記の様な若手が存在しているのは事実だと思います。でも考えてみると、仕事の覚えが悪い人や挨拶ができない人はどの時代にもいたのではないでしょうか。今の中堅世代が若かった頃のことは分かりませんが、同じような傾向だったと予想できます。
  さらに加えると、今の若手以外の世代でも、新しい仕事の覚えが悪い人や、いい歳なのに挨拶ができない人だっているのですから、若手にも同じような人がいるからといって、ゆとり世代だからとまとめてしまうのは無理があると思います。中には、自分の若かりし頃を棚に上げて、ゆとり世代はこれだから。。と言ってしまっている人までいるのです。
 
  言い換えると、今の若い世代に仕事の覚えが悪い人や、挨拶ができない人がいた時、たまたま彼らがゆとり教育を受けてきていたというだけで、非難の対象になっているのだ、とも言えるのではないでしょうか。
 
  ゆとり世代でない人達でも、仕事の覚えが悪い人や挨拶ができない人がいるのですから、今のゆとり世代が中堅世代になる頃まで、結果はわからないと言わざるを得ません。今の中堅世代と、未来のゆとり教育を受けてきた中堅世代がどう違うのかは、その時が来るまでわからないということです。
 
  また、ゆとり世代にある悪いイメージが強いせいで、ゆとり世代であっても活躍している人達がいることがあまり注目されません。フィギュアスケート浅田真央さんや羽生結弦さん、ゴルフの石川遼さんなどが良い例です。彼らもゆとり世代に当たりますが、スポーツ界では卓越した成績を残しています。悪いイメージではゆとり世代だからこうなる、と言われるのに対して、良い成果を出している人達に「ゆとり世代だからさすがだな」と言われることはありません。実際に、ゆとり世代のほうがスポーツ界で優秀な成績を収めている人は多い様に感じますし、メダリストも多くいらっしゃいます。
 ゆとりある時間を与えることで、好きなものを見つけてそれに打ち込み、成功したといういい例なのではないでしょうか。
 
 
 
 

◼︎ ゆとり教育の狙いは何だったのだろうか

 
 
 最終的には「失敗に終わった」とされているゆとり教育ですが、そもそもゆとり教育の狙いはいったい何だったのでしょうか。
 成績向上を目指した教育システムの改変であれば、勉強時間を減らすという選択をする必要はなかったと考えられますし、当時「子供の成績が低くなっている」というニュースや情報なども特にありませんでした。だとしたら、ゆとり教育を始める狙いは、「学力向上」ではないと考えることができます。単純に学力を向上させるのならば、授業時間を増やすか、学習指導要領の改訂を行って勉強させる内容や指導法を変えていくことのほうが効果がでやすいからです。実際に、ゆとり教育が失敗したとされた後、再び成績向上を図るために、授業時間と学習範囲を増やし、勉強をたくさんさせる試みがとられました。
 
 ゆとり教育で授業時間を減らした分、充てられたものは「総合学習」の時間でした。総合学習は、それぞれの学校や、指導に当たる先生によって内容が異なる科目でもあります。総合学習の時間を使って人権について考えたり、地方の歴史について学んだり、地域貢献活動をやったりと、幅は広く、いろいろなことをやることができました。
 
 こうしたがちがちの勉強ではない時間を使って、いろいろな経験をさせることは、子どもたちに良い影響を与えてきたと思います。勉強とは違う楽しみを見つけたり、考え方を身に着けるためには、「総合学習」の時間は必要だったと思います。さらに言えば、前述したような「ゆとり世代に対して持たれているイメージ」が、学習時間を総合学習時間に変えたことから起こっている現象だとは、どうしても思えません。気持ち的にゆとりを持ち、様々な学習以外の経験をすることが、「指示待ち人間」を生み出したり、「挨拶ができない人間」を生み出したりするのでしょうか。これこそ、ゆとり教育ゆとり世代のイメージに対して相関が取れているわけではない、と言える条件でもあります。
 
 最終的に、ゆとり教育の狙いは「学力だけにこだわらず、勉強とは違う楽しみを見つけたり、考え方を身につけたりする」ということがあるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 

◼︎ ゆとり教育では、削減した勉強時間を何に使うべきだったのか

 
 
 前述した様に、ゆとり教育では総合学習の時間を増やして、勉強時間を減らすシステムが作り出されました。しかし、削減した勉強時間を総合学習時間にあてたことが、結果としてゆとり教育の失敗という事態を招いてしまったと言えます。なぜ、総合学習時間を増やすと、失敗に繋がったのか。
 
 総合学習では、数学や理科などの科目と違って、「どの分野をどれだけの時間で学ぶ」 といったことが決められておらず、学習指導計画はかなり抽象的なものになっているように感じます。数学などの科目は多くの教材やテキスト、問題集などが出版されていることから、指導をサポートするツールを取捨選択して利用できますが、総合学習ではそうはいきません。総合学習にはテキストや問題集はありませんし、この年でこれだけのスキルを身に着くことが理想だという到達目標もありません。いわば、その先生が理想とする総合学習を決定し、子どもたちに経験させていくことになるわけです。これでは、時間をつい無駄に使ってしまいかねませんし、実際のゆとり教育では意味のない総合学習や結局何も身につかなかったということが往々にしてありました。
 
 総合学習でやるべきことを明確化し、それをシステムに組み込まれていなかったことこそ、ゆとり教育失敗の原因になると思います。
 
 
 私個人としては、ゆとり教育で教えるべきだったのは、「勉強のやり方」だったのではないでしょうか。結局何が身についたかわからなかった総合学習より、将来にわたって一生使っていける「勉強のやり方」というスキルを指導しておくべきだったのです。勉強のやり方は、学校では教えてくれません。学校では、様々な勉強は指導してくれますし、高校や大学では専門的な学習指導もしてくださいます。しかし、肝心な勉強のやり方に関しては、基本的にどこの学校でも教えてはくれません。
 
 本当に学力アップのために教育システムの改変を行うのならば、「勉強のやり方」を一つの科目として詳しく指導していく必要があります。勉強にやり方を学んでいれば、これから生きていく人生の中で、必要なスキルは自ら学んで行く手段を得たことになるからです。必要なのか学力ではなく、「学ぶ力」のほうではないでしょうか。勉強のやり方を教えてあげて、願わくば勉強の習慣を身に着けさせてあげることこそ、ゆとり教育で培うべきだった能力だと思います。
 
以下のエントリにも勉強のやり方に関することを書いておりますのでご一読ください。
 
 

 

tekaten.hatenablog.jp

 

 
 
 

◼︎ 終わりに

 
 
 
 「ゆとり世代」と一口にまとめてしまうのは、なんともむなしい考え方だと感じてしまいます。もちろん、世代によって特徴はあるとは思いますが、その年代の人すべてがあたかも同じような人間だと決めつけてしまっているようで、おもしろくありません。もっと個人を見てあげて、指導していく必要があるのではないでしょうか。
 
 個人を評価するよりも、「ゆとり世代だから」という言葉を使ってしまうことが、現代の若い世代の気持ちを逆なでしてしまっていることには、気が付いたほうが良いでしょう。ゆとり教育を受けた世代も、「ゆとり世代だから」と言われないためにも、自らを学んで、周囲に表現する努力が必要です。
 
 最後にもう一度述べますと、「ゆとり教育が失敗しているのかどうか、今現在では判断することは難しい」と結果を出さざるを得ません。ゆとり世代と言われている人達が、本当に将来活躍することができないのか、日本を背負っていくことができないのか。こればかりは、そのときを迎えてみないとわからないのです。